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平成30年9月10日(月)~14日(金)の日程で、香港とタイを訪問しました。 団長は岩村良一副議長、他9名(自民党6名、未来にいがた2名、無所属1名)と事務局から2名、通訳兼添乗員1名のメンバーです。   初日と最終日は移動日となります。実質3日間で進出企業や領事館などを訪問しました。 香港では、11日は「久保田米業」「在香港日本国総領事館表敬訪問」「インベスト香港」12日は「JNTO香港事務所」を訪問し、本県とかかわりのある「新潟米」や「日本酒」等の県産品輸出の現状と将来性について、また、香港の総人口約740万人のうち、毎年訪日する人が「約220万人」に達し、中でも10回以上のリピーターがいるとのこと。残念ながら、本県も輸出やビジネス、観光誘客に力を入れているが、他県に比較して最低クラスの実績であり、特に西日本に対し大きく差を広げられていることが明確に判明しました。 世界各国から、毎年香港へ約5,000万人以上が訪れるとのこと。更に、ここに来て、中国との間で高速鉄道が結ばれ、マカオとは橋で結ばれるなど大幅に時間短縮されることから、今後一層人との交流が増えて、観光やビジネスなどに期待が持てることを肌で感じたところです。  訪問での感想ですが、空港から市街地への移動の際、車中から見る景色では林立する高層ビル群、おびただしい自動車の大半が日本車で、しかも殆ど小型車は見られず高級車ばかり。港には、数多くの船とガントリークレーンが林立し活力を感じました。  注目すべきは、建築中の工事現場で使用されている足場は、全て孟宗竹でした。これで高層ビル建設をするなど日本では考えられないことです。 また、食文化の違いで殆どが外食で、しかも冷たい食品を好まないそうです。久保田米業では、これまでの輸入米は香港人の口に合わず敬遠されていたそうですが、現地で精米することにより食味も良好で、最近は、日本食ブームとおにぎりが人気とのことでした。イベントでは、日本酒の酒の陣に大勢の人たちが集まるそうです。  意見交換では、訪日のリピーターの大半が都会志向から田舎志向に変わっていて、その中でも移動手段はレンターカー利用者で、レンターカー会社に本県の観光などのパンフを置くことも必要とのことでした。また、中国への進出を計画しているのであれば、香港経由が有利とのこと。利益の日本への持ち込みが認められているそうです。  タイに異動して、「タイ福田組」「エンドウタイ」「JNTO事務所」「JETRO事務所」を訪問し、本県から進出している「福田組」と「遠藤製作所」などから、進出の経過と現状、今後の対応をお聞きしました。  空港から市街地に向かう高速道路は、片道5車線と広く、ここでも大半が日本車でした。市街地に入るとバイクも多く、しかもオレンジ色のチョッキを着ているバイクは、後ろに人を乗せて走るタクシーでした。大混雑の狭い中を巧みにすり抜けて走る技量にはビックリです。道路の歩道上では、所狭しと屋台が出ていて大勢の人達が食事をしていました。申し訳ないけれど、不衛生な感じでとても食べる気がおきません。交通信号も横断歩道もありますが、無視する人が慣れていない多く、日本人には危険で無理だと現地案内人が言っていました。また、犬やトカゲは宗教の関係で殺傷してはいけないそうです。  市街地には、至る所で電線が何十本も束になっていて、多くは盗電とのことでした。これも危険極まりないと思いますが、一方では金融や貿易、企業進出、観光産業などが活発で、今やシンガポールを上回る状況で、そのギャップが理解できない事でした。但し、バンコク周辺は土地も人件費も進出メリットが無くなりつつあり、訪問先での話では、今後は地方への展開となるとのことでした。  今回は2か国の訪問で感じたことは、これまでの本県の対外関係では、主に北東アジアもしくは東南アジアに主力を置いた展開でしたが、今後は、東アジアへのシフトも大切であり、戦略の練り直しと人的交流による情報交換が不可欠だと思いました。  最後に、今回の訪問日程は大変厳しく、初日は香港着が真夜中となり、翌日からの訪問先も移動時間が長く、最後の日も早朝4時にホテルを出発するなど、体力勝負の内容でしたが、日本と外国の違いを体験できた貴重な時間を、今後の県政に活かせるよう努力していくつもりで、私の報告とします。なお、私はSNSでも一部報告済みですが、詳細は報告書として作成されますので、後日拝見していただきたいと存じます。

日 時:平成30年4月20日(金) 場 所:ザ・プリンス パークタワー東京 地下2階「ポールルーム」 出席者:自民党所属都道府県議会議員、政令指定都市議員連絡協議会代表     総勢 約600名  この日の東京は真夏日。新幹線の到着時間が早かったので、浜松町駅から当会場まで歩いたが大変だった。(案内状では、会場まで徒歩で12分が倍以上かかった。) 受付を済まして会場に入ったが、全て自由席となっていて、新潟県議会議員を探したが余りにも広いため、何処に誰がいるのか確認できなかった。幸いにして松原良道県議を見つけ隣の席に着いた。富樫一成県議も近くにいたが他の県議は不明。  研修会は、最初に開会の目的などオリエンテーションで、萩生田光一幹事長代理があいさつされる。  冒頭、今国会で問題となっている様々な問題に触れ、「国会議員並びに行政府は、国民の信頼を損ねる事態に対し真摯に受け止め、徹底した問題の検証と再発防止に全力で取り組んでいく。国会議員が今日あるのは、常日頃から地元の人達と密接な活動している地方議員のおかげであることを、改めて認識する必要がある。安倍総理から本日の研修を十分意義あるものにするよう指示があった。」と、あいさつを兼ねて趣旨を説明された。 続いて、二階俊博幹事長、岸田文雄政務調査会長、橋本聖子参議院議員会長が、今国会における行政府の公文書書き換え問題などについて、主催者代表として問題処理や対応などの説明がありました。 その後、第1講座では「憲法改正」に関すること。第2講座では、4つの分科会(①働き改革 ②生産性革命・人づくり改革 ③地方創生 ④外交・安全保障)に分かれて研修が行われました。私は、③地方創生の分科会に参加しました。  第1講座の憲法改正では、細田博之・憲法改正推進本部長から「憲法改正に関する議論の状況」について説明がありました。要旨は、「自由民主党における憲法議論の経過(日本国憲法は、昨年5月3日で施行70周年を迎えた。この間、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の基本原則が定着し、国民の福祉、国家の発展に大きな役割を果たしてきた。しかし、70年の歴史の中で国内外の環境が大きく変化していることから、今日の状況に対応するための改正すべき項目や追加すべき項目も考える必要が生じてきた。こうした知見や議論を踏まえ、国民に問うにふさわしいテーマとして、①安全保障に関わる「自衛隊」、②統治機構のあり方に関する「緊急事態」、③一票の格差と地域の民意反映が問われる「合区解消・地方公共団体」、④国家百年の計たる「教育充実」の4つを取り上げ、優先的な検討事項とした。平成29年6月から、これら4項目について憲法改正推進本部会議を約20回開催し、精力的に議論を進めてきた。  このような基本姿勢の下、憲法改正推進本部では昨年12月20日、それまでに集積された知見や議論を整理し、中間報告として(憲法改正に関する論点とりまとめ)を発表した。さらに今年に入り、精力的に議論を重ね「条文イメージ(たたき台素案)」を決定した。  今後、衆議院憲法調査会や各党、有権者などの意見を踏まえ、具体的条文案の完成を目指すことになる。」との内容でした。 なお、関連して中谷元・憲法改正推進本部長代理が「自衛隊の明記」と「緊急事態」について、根本匠・憲法改正推進本部事務総長が「合区解消・地方公共団体」について、岡田直樹・憲法改正推進本部事務局長(第1講座の進行役を兼ねて)が「教育充実」についてそれぞれ資料に基づいて経過説明がありました。  休憩を挟んで、第2講座の4分科会が行われました。私は「地方創生」の分科会に参加しました。 最初に、河村建夫・地方創生実行統合本部長から、本題の主旨と審議中の経過や課題などについて詳細な説明がありました。要約しますと、1、人口をめぐる3つの課題・強い危機意識に基づく地方創世の取組・として、(1)長期にわたる人口減少(2)いびつな人口構成=少子化・高齢化(3)止まらぬ人口偏在=東京一極集中では、2008年の12,808万人(高齢化率22.1%)をピークに我が国は年々人口減少が続き、長期的推移では、2050年には10,192万人(高齢化率37.7%)の推計予測となる。 先進国の中でも、日本は他国に比べて大幅な人口減少が進行する。日本の出生率・出生数の推移でも、出生数では1970年代半ばから長期的に減少し、2016年には100万人割れが起きている。合計特殊出生率は、人口置換水準の2.07を下回る状態が、1975年以降、約40年間続いている状態。このような中、三大都市圏・地方圏の人口推移では、地方から大都市への人口移動が生じ、特に1980年代以降は東京圏に流入している。2017年では、東京圏(+12.0万人)、名古屋圏(-0.5万人)、大阪圏(-0.9万人)、地方圏(-10.6万人)となっている。 2、人口減少、少子化・高齢化、東京一極集中がもたらす地方への影響として、3つの課題①急激な人口減少、②異次元の少子化・高齢化の進展、③東京一極集中の進行があり、①では、国民生活への影響として、地域コミュニティの維持・の全への悪影響や生活上の買い物などの不便、高齢者の孤立化・無縁化など、②では、社会基盤・システムへの影響として、国土の維持・保全の困難化、交通・生活インフラの維持管理の困難化、大都市集中に伴う災害リスクの増大など、③では、産業・雇用への影響として、需要の減少、企業の退出・生産拠点の海外移転などによる雇用・所得の縮小、税収の減少などが課題となる。 3、地方創生の取組の推進として、(1)地方創生の枠組みと政策の全体像(2)最近の取り組み事例などが紹介されました。その後、会場から幾つか質問がありましたが、明快な回答がなく、今後の協議の場で検討して何時とのことでした。これらを参考に、県政の諸課題に取り組んでいく参考にしたいと思いました。以上、報告といたします。

2日目は、昨日見学した石見銀山公園に集合し、遠藤課長同行で現地ガイド(安立聖会長さん)の案内で、約1時間40分大森町内(当時のままの道幅「約4m」の道路の両側に、 町民屋敷や武家屋敷が建ち並ぶ街並みを、また、何か所もある銀発掘の近くにあった鉱山技師屋敷(遺構だけ)を見ながら、安立会長オリジナルの説明図柄や配置図(間歩の位置 など)などで、ユーモアたっぷりな身振り手振りを交えた詳細な説明を受けながら進みました。驚いたことに、安立会長さんは行程の大半が、私たちを正面にした後ろ歩きの説明 です。本人曰く「慣れれば前歩きと同じだ。」と、涼しい顔で笑っていました。  興味深い話では、世界遺産登録前の平成18年度までの年別入込客数では、約30万人でしたが、登録された平成19年度では年間約72万人となり、狭い道路に観光バスや一 般車の乗り入れで、地元住民の日常生活が大変だったとのこと。 しかし、その後は翌年度の約82万人をピークに減り続け、平成28年度の入込客は約32万人とのこと。 遺跡保存と観光振興との結びつきの再構築が、今後の課題のようでした。 最後は、この世界遺産登録の立役者の1人であり、町並み保存に大貢献をされている、中村ブレイス(株)中村俊郎社長「設立は1982年10月、業種は精密機械、事業内容 は義肢装具の製造で、2007年には第2回ものづくり日本大賞特別賞受賞など数多くの賞を受賞」所有の「なかむら館・迎賓館(大森町内にあった廃屋を再生)」に行き、中村社 長から「石見銀山遺跡に係る大森地区の町並み保存」にかける熱い情熱をお聞きしました。  子供のころに、父親から「将来役に立つよう何か身に付けること。」と言われて、20歳代で単身アメリカにわたり、身体不自由の方々が普通の暮らしができるための義肢装具の 技術を身に付けたとのこと。 日本の帰る際、生まれ育った故郷に戻りたいとの思いから、大森町内の廃屋寸前の小屋を手に入れて、努力しながら今日を迎えたとのこと。年々町内から人がいなくなることに 憂慮して、何とか自分の手で地域再生するとの思いから、毎年家屋を買いながら修復して、若い人たちに借家(安価な価格で)として提供し、これまでに約60戸の再生が完了している とのこと。この間、大田市でも再生に関して補助事業を創設して支援しているとのこと。  この「なかむら館」には、石見銀山に係る資料のほか、国内外の貴重な資料(大航海時代の世界地図に石見銀山が掲載されているものなど)を収集し一般公開しているとのことでし た。 私たちは、中村社長さんから心温まる話を伺い大変参考になりました。中でも、ご自身が編集した各種資料を参考にいただき、また、展示されている資料や義肢製造品(指や腕、乳 房などなど)の説明を受けるなど、時間が超過するほど熱心でした。  佐渡金銀山の世界遺産登録に関しても、このような熱くなれる人達が何としても必要だ。との思いで研修してきました。 感想としては、石見銀山遺跡全体が緑に覆われていて、自然の中に溶け込んでいることが第一印象でした。また、町並みの保存状態もよく。採掘場所へのアクセスにはガソリン車 などを排除している点も好印象でした。  歩いている途中に、発掘現場があったり建物の修復現場があったりしていて、奥の深さを感じたところです。  以上、報告といたします。

平成29年11月15日(水)~16日(木)の1泊2日の日程で、島根県大田市の世界遺産「石見銀山遺跡」を視察してきました。 今回参加者は議員連盟9名(中野洸会長、早川吉秀県議、岩村良一県議、矢野学県議、秋山三枝子県議、池田千賀子県議、志田邦男県議、 安沢峰子県議と私)と事務局(北村亮世界遺産登録推進室長ほか2名)でした。 新潟県からは、遠距離のため午前8時40分発の乗り継ぎ(伊丹空港経由出雲空港)で、午後1時に到着。最初の訪問は、太田(おおだ)市役所です。 石見銀山課・遠藤課長から (1) 石見銀山遺跡の歴史とその文化的景観について ・銀鉱山として、1309年・周防の国守(大内弘幸)によって発見され、本格的な操業は、     1533年博多の豪商・神屋寿禎により、灰吹法という銀の精錬技術導入で飛躍的に産出量が増え、その後、戦国時代から徳川時代を経て、     1923年(大正12年)の約400年にわたり掘り出されたこと。     ・16世紀の大航海時代には、マルコ・ポーロの紹介した地図に載るほどの有名な銀鉱山で、当時の世界の1/3を算出していたとのこと。     1610年頃には、人口20万人、寺院100カ寺に及び、京や堺に負けぬ賑わいでしたが、掘りつくされて1923年(大正12年)に閉山となったこと。     ・鉱山町として繁栄してきた大森町では、人口減少とともに町内にある家屋は空き家が多くなり、衰退に歯止めがかからない状態となり、この現状を     改善するために、昭和32年に大森町全戸加入で、大森町文化財保存会を発足し活動してきたことにより、昭和44年には日本初の鉱山遺跡として     国指定を受けたこと。    ・昭和58年から発掘調査と歴史資料・民俗資料の調査が始まり、昭和62年には大森の町並みが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されるに至ったこと。 (2) 世界遺産への取組について     ・平成7年には、島根県知事が世界遺産登録を目指して検討する方針を発表したこと。     ・平成11年から、本格的に国に働きかけを継続した結果、平成13年には世界遺産暫定リスト登載、その後、平成18年に国からユネスコの世界遺産センターへ     提出された推薦書が正式に受理されるまでの間、国史跡追加指定や鉱区禁止地域の指定、協働会議の発足、景観保全条例の施行、遺跡保存管理計画の策定、     遺跡管理団体の指定申請、交通対策(パーク&ライト)開始などについて対応してきたこと。     ・平成19年7月に、第31回世界遺産委員会で「石見銀山遺跡とその文化的景観」の登録が決定されたこと。     ・指定の範囲は、約529haと広範にわたる。指定地区には「銀鉱山跡(銀山柵内、代官所跡、矢滝城跡、矢筈城跡、石見城跡)と鉱山町(大森銀山重要伝統的建造物     群保存地区、宮ノ前地区、重要文化財熊谷家住宅、羅漢寺五百羅漢)」「石見銀山街道(鞆ケ浦道、温泉津沖泊道)」「港(鞆ケ浦、沖泊)と港町(温泉津重要伝統的建     造物群保存地区)」からなり、石見銀山遺跡の世界遺産としての価値は、次の3点に集約される。     ①  世界的に重要な経済・文化交流を生み出した。     ② 伝統的技術による銀生産方式を豊富で良好に残す。     ③   銀の生産から搬出に至る全体像を不足なく明確に示す。     なお、国内では14番目。鉱山遺跡としてはアジアで最初。2009年7月現在、148か国の890件が世界遺産リストに記載されている。とのこと。 (3) 指定後の保存・整備・活用の取組について     ・遺跡の保存と整備については、遺跡の調査研究を進め、その保全に必要な情報を得るための文化財調査(県との共同で、発掘調査・建造物調査・文献、科学、石造物     環境等調査)を実施してきたこと。     ・保存整備では、調査研究の成果を踏まえ、遺跡の価値を高める或いは維持するための保存、活用を促進するための整備(第2期遺跡整備事業、重伝建地区保存整備事     業・大森銀山地区・温泉津地区)を実施してきたこと。     ・遺跡の活用では、遺跡の価値の理解と共有を図るため、「市民向けの講座や現地見学会の定期開催」「構成資産の公開活用」「資産情報の積極的提供」「登録10周年     事業」を始め、平和と人権尊重の実現に向けた取組、石見銀山学として「学校教育との連携」「石見銀山学形成」を実施するなど。 … 続きを読む

6月6日午前10時30分より、妙高市赤倉温泉・ホテル太閤の会議室で研修会が行われました。この研修会は毎年交互に行われ、本年は新潟県が会場となったものです。新潟県議は、村松二郎世話人代表以下8名、長野県は宮澤敏文世話人代表以下8名、事務局として新潟県土木部10名、長野県建設部3名、妙高市からは説明員として竹田観光商工課長から「北陸新幹線開業に伴う効果」として、開業善と開業後では、宿泊者数で約10%アップ、観光施設入り込み客数では約28%アップ、火打山高谷池ヒュッテ宿泊者数では約20%アップ、笹ヶ峰県民の森グリ-ンハウス食堂利用者数で約17%アップなどと公式に数値をカウントできる箇所の実績がしめされました。効果が出ているとのことでした。妙高市の地方創生への取組では、5つの重点プロジェクトの中で、「新幹線・国立公園を活かした交流人口の拡大」「総合健康都市・妙高型健康保養地(クワオルト推進」を掲げて取り組んでいるとの説明がありました。 次に、新潟県と長野県に係る「地域高規格道路(松本糸魚川連絡道路)」について説明がありました。松本糸魚川間は約100kmで、新潟県側は約20kmである。国道148号線の現状では、災害や異常気象時の通行規制、線形不良(急カーブ、急こう配、狭隘道路幅など)、大型車両の通行による沿道環境悪化などがあり、また、松本や白馬方面との観光交流には、何としても松本糸魚川連絡道路の実現が求められるようになったこと。知事交代により機運が高まりつつあり、現在は事業化に向けて環境基礎調査や地域との合意形成の為、Aルート案・Bルート案を示して地区懇談会と市民アンケートなどを実施しているなどの説明がありました。一方、長野県側は着々と工事が進んでいる状況。大町地域、白馬地域、小谷村地域の工事進捗状況が示されました。古くから両県を結ぶ大事な生活道路であり、物資輸送道路であり、災害時の生命確保の道路であるなど重要路線の早期完成に、両県議会で力を合わせていくことを全員の望むところです。 午後からは、最初に妙高市が要望している「上信越自動車道妙高SAのスマートIC設置推進」の取組について、妙高市杉本建設課長から現地で説明を受けました。平成23年度に調査をしたところ、採算性(年間▲4,630万円)で評価が低く断念したこと。しかし、近年、アパリゾートや上信越自動車道4車線化の促進などで、市内商工会や観光協会、企業関係者などから要望が強くなり再度挑戦中であること。などの説明がありました。 次に、「道の駅あらい」くびき野情報館で、鹿住駅長から道の駅の経過と現状について説明を受けました。平成12年8月1日のオープン(全体エリア約8.3haで市営は3.0ha、全体事業費は4,190百万円で市分は1,570百万円)以来、順調に推移していること。将来ICを予測して、国と協議し高速道路下に市単独でアンダーボックスを設置したこと。長野県民の動向(海なし県)を意識して、出店の際、飲食店の他に鮮魚センターを誘致(平成29年2月現在、15軒)して誘客対策したところ、大当たりとなり年間約300万人の入り込みとなっていること。また、平成21年度の日経グローカルでは、全国売上第一位(20億6千万円)となったこと。管理運営は「妙高ふるさと振興株式会社・資本金40,000千円で妙高市が50%出資」であること。平成17年1月にETC専用の社会実験がスタートしたこと。現在、24時間化を目指していることなどが主な内容でした。 最後に、上信越自動車道(信濃町~上越JCT)までの37.5km(拡幅工事延長24.7km)4車線化の工事現場を視察しました。説明は、NEXCO新潟支社 信越工事事務所長です。暫定2車線から4車線化による主な整備効果は、①交通集中渋滞の緩和 ②対向車線への飛び出し事故の防止 ③冬期の円滑な交通確保 ④維持管理のしやすさ、機能向上 ⑤並行する一般国道18号線との連携強化のため、平成30年度完了を目途に工事を進めている。5工区に分けてトンネル5本、橋梁80基も含まれている。今回の工事視察場所は、3工区の中郷ICから新井PAの中間地にある、矢代川と万内川の合流点に「あらい高架橋」の通称・メガネ橋の作業事務所前でパネルを見ながら聞きました。当日は、コンクリート打設中とのことで直接見られませんでしたが、東日本大震災などの影響から鉄筋の太さも以前の倍になっているとのことでした。議員から、「平成30年度完成は大丈夫か。」との質問に、「そのように努力している。」との回答でした。以上が、今回の研修報告です。